大将からひとこと

第三十一回:笑顔

母親は肝っ玉かあさんを今考えて思い出せば演じていたのですね。

明るくいつも笑顔で苦労なんかしたことのない、すべてケ・セラ・セラで私の目からはそのようにしか見えませんでした。

 

種子島の時代は割烹着とモンペ姿で朝は土間でコトコトと朝食作り、昼は父親と一緒に田畑で働き、夜は裸電球の薄暗い中で野良仕事にと休む間もなく働いていました。

伊丹に来てからは、働きに出て帰ってきたら内職と顔を見るのは朝と夜遅い時間でした。

子供6人を大きく育て不平不満を言わず、働きずめの人生です。やはり母は海の様な広い心で廻りの人達をつつみこんでいました。

 

昔の日本の母親は皆さんそのような方々ばかりだったんでしょうね!父・母が亡くなって15年~30年と時が過ぎ今頃になり親のありがたみを深く感じています。私も来年還暦を向える齢になってから?

近頃になり 母の体質に近くなり血圧も高めで小太りで性格も楽天的に考えるようになり残りの人生を元気に明るく楽しくと考えていますが、世の中はまだまだ甘くありません。徳川家康の言葉に「人の一生は重荷を負って遠き位置を行くが如し、急ぐべからず」遠い旅立ちまで心を鍛え知恵と思いやりと勇気でこの世の中を突破して行きたいと考えます。母の笑顔で・・・

 つづく

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