大将からひとこと

第六回:環境が人を育てる

時代も高度成長のとき、私たち家族も3Kの文化住宅に引越し、
3部屋の6帖1間に2段ベッドで兄と2人1部屋で、
台所・風呂・トイレつきのなかなか快適な生活でした。

高校の環境も良く、自然あふれる学校と自由を校風にする
私服の学校でスポーツに勉強に、地域では有名な学校でした。

廻りの学生・先生も優れた方々が多く、
さまざまな人生の勉強と、いろいろな人との交流が出来た学生生活でした。

部活も夏の大会で終わり、いよいよ進路について考える時期になりました。

早く一人前になり、生活する事を目標にして来た私は、
お世話になった先生の紹介で、某運送会社の空港支店に就職も決まり、
サラリーマンへと。

その時も、絶対に五年は仕事を辞めたら駄目だと何度も言われ、就職しました。

さすが大手企業。

教育も厳しく、大学卒業生と高校卒業生を一緒に50名程度で1ヶ月近く合宿し、
社会人としてのマナー・電話対応・接客・運転技術・etc...

みっちり教育されて現場へと。
初めから厳しい環境で、3交替の上、夜勤は1人勤務。

18歳から協力会社の20~30名を指揮し、航空貨物会社、他社との対応、全国支店との対応と、
会社の物流情報の中枢を担っていました。

天候不良・事故等の時は最悪で、電話は鳴りっぱなし。
問い合わせ・苦情は当たり前。

何百トンの貨物の中から商品を探したり、FAXもない時代、一通の書類を持って
広島や名古屋へ新幹線で持っていったり、社用車で高松・鳥取・京都・和歌山へ走ったり、
世の中の仕事はこんなに大変なのかと、プレッシャーと苦悩の日々でした。

名前も顔も知らないお客様、会社の上司、北海道・関東など全国の同じ会社の人
理不尽としか思えない怒られ方をされたり、部下・協力会社のチョンボなどで精神的に疲れ、
遊びと酒におぼれていきました。


・・・つづく

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