大将からひとこと

第四十五回:30年からの始まり

昨年11月に創業30年を迎えました。

皆々様にご愛顧・ご支援を頂き感謝お礼申し上げます。

人生での達成感と安堵感を感じながら、今なら”高みへの挑戦”への方向性をつくっていかなければとの”プレッシャー”に令和2年新年早々に押しつぶれそうな心境であります。

昭和・平成・令和と3時代を生きてきました。

現代世界で脚光を浴びている”日本料理!”を次世代に、還暦となった私の最大のテーマであります。

 

想いおこせば昭和は戦争で数多くの方々を亡くし、原爆投下と最悪のシナリオにて終戦を迎え、私達の先人達の不屈の精神と絶え間ない努力により高度成長をなしとげ今の日本の礎を築きあげました。

そのバブル時代に私達は社会の一員となり、企業戦士として夜を徹して働く事が美徳とされていた頃でした。

外食産業のさきがけの時代、大型店舗、チェーン店、寿司屋、居酒屋などなど。

開店すれば利益(儲ける)の有る時代です。俗に言うどんぶり勘定で5~10年も頑張れば家が建つと言われました。

昔から10年ひと昔と言うことわざがありますが(今は3年ひと昔ですね)、現代は5、10年飲食業を続けるのはなかなか難しいようです。

 

私達が社会に出た頃は携帯電話・スマホ・パソコンなどはなく、黒電話からカラー電話へ、ファックスなど高嶺の花でした。

その後大型の自動車電話の車のアンテナを見れば”あぁお金持ちの人だ”と声をあげるひとこまを思い出します。

その後ポケベル・パソコン・携帯電話と小型化が進み1995年1月17日神戸淡路大震災から急激に携帯が進化したことを思い出します。

 

震災前からのバブルの頃和食は鯛や平目の舞い踊りで生け簀からお魚を揚げ、活造りや寿司・空揚などの全盛期でした。目の前からお魚をあげ、すぐにさばき食する生食が好まれ、お金の事はこだわらない行け行けの頃でした。

昭和後期は鯛・平目・はまち・鯵・鯖などのお魚、平成はまぐろ・サーモン・かんぱち・海老・河豚など、令和はどのようなお魚が主役の座につくかは?

ああなるほど時代によって好まれるお魚も違うのです。

まず令和は獲る(釣る)からお魚は創る時代へと変貌するでしょう。

近大のマグロのようにその他の魚も完全養殖の時代がやって来ることでしょう!?

 

その間に世の中はグローバル化が進み世界の各街で和食・寿司はヘルシーで健康の食バランスも良く*美味しいと大好評で高額にもかかわらず満席のお店が多いようである。

*(美味[おい]しいを美味[びみ]と書きます。これも日本の美しい言葉です)

 

日本を顧みると主食は肉・肉・肉とお魚や野菜の登場は数少なくなりました。

寿司屋は回転寿司店に替り、日本料理など大都市のみ健在しますが、地方では数える程です。

私の街でも同様でもある悲しい限りである。

 

同業者が口々に言います。

「若い働く人がいない(後継者がいない)」

「お魚・料理の価値をわかってくれない」

「手間暇を理解してもらえない」

「価額が高いと言われる」

この問題から解決して行こうと考える…

 

つづく

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