大将からひとこと

第七回:置手紙

仕事もボチボチ慣れ、
社会人としてバタバタと忙しい日々を送っていたある夜、
自宅に帰ると母からの手紙が
置いてありました。

同じ家に住みながら、
長く両親の顔を見ていないと思いながら
手紙を読んで見ると

「明石に家を買ったので、長男と一緒に行きます。
 これから一人で生活して下さい。
 又、時間を作って来て下さい。」

という文章と共に、
住所と電話番号が書かれていました。

ふと思い返すと、仕事におわれ、
ほとんど会話をしていなかったと気づきました。

19歳にしては、当時20万円ぐらいのお給料を
頂いていたので、生活的には困らないと
考えていましたが、食事に困り、外食と酒ばかりで、
一人では広すぎる家に、寝に帰る生活でした。

寂しがりやで甘えん坊な私を管理してくれる人もいなく、
仕事以外はだらしない自由きままな私生活でした。

お金も体ももつわけがなく、
恥ずかしながらお尻に出て「痔」に
なってしまいました。

大阪十三の某有名医院で手術をすることになり、
その先生が言うには、

「人生、二度と「痔」にはならないから
 1~2ヶ月の痛みに耐えてね!!」

その言葉を信じるしかなく手術。
2ヶ月間、苦痛との戦の始まりでした。

病院の二階で、年齢関係なく男女10人程での
共同生活。
風呂は近くの銭湯へ、食事は皆で自炊。

恥ずかしさよりも痛みの方が上で、
耐えるしかありませんでした。

しばらくすると班長となり、
次週の手術者への説明、全員の管理と、
大変な日々でした。

嫁入り前の女の子、肉屋の店主、主婦の方々など、
幅広い客層と伝統ある病院システムには、
若い私でも感動でした。

日にち薬で徐々に痛みも治まり、
先生の言葉通り、36~37年たちましたが、
百回のかん便にはビックリです!?

次はお金がつきてしまいました。

それもそのはず。毎日の外食と若い衆を連れて
贅沢三昧の日々。

お金が廻るわけがなく、
職場の近くでアパートを借りる事になりました。
2DFで家賃3万円程度で、静かな生活が始まりました。

しかし、性格がすぐになおるはずもなく、
悪い友人の誘いや誘惑に弱い私は...。

「このままサラリーマンとだらしない生活と
 満足のいかない仕事をしていていいのだろうか。」

と思い始めたのは、この時期ぐらいからです。

将来の自分自身を見直したいと考え始め、
23歳の秋のことです。


・・・つづく

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